"American Sniper" directed by Clint Eastwood
アカデミー賞6部門にノミネートされたクリント・イーストウッドの『アメリカン・スナイパー』
渋谷で見たけど、結構混んでました。
社会的メッセージとかそんなのどうでもよく、
ハラハラドキドキするエンターテイメント。
まさに現代の西部劇。
戦場の英雄でもなく、
心に傷を負った兵士でもなく、
パトリオットでもなく、
弟の尊敬する兄でも、
心やさしい恋人でも、
良き父親でもなく、
それらすべてを含んだ「ある男」の物語。
そんな男をブラッドリー・クーパーが好演しています。
『父親たちの星条旗』のなかのあるシーンで、
めちゃくちゃ涙が溢れてきたのを思い出しました。
戦場という特殊な環境下ではあるけれど、
そこにいる青年たちは、僕らと何ら変わらない。
兵士ではなく、どこにでもいるようなただの青年。
本作『アメリカン・スナイパー』は、
クリス・カイルというテキサス出身の伝説のスナイパーという
実在した人物の半生を描いている。
まさに「半生」を描いているというのが、正しいのかもしれない。
30歳にして、愛国心から特殊部隊・シールズに志願したクリス・カイル。
そこには、光もあれば影もある。
だらしない生活もあれば、素敵な出会いもある。
際立てない。
英雄を過剰なまでに神格化しないこと。
それは、イーストウッドの潔さかもしれない。
ダーティーはダーティーのままに。
子供をライフルのスコープから覗く。
落ちている銃を持ったら、撃たなければならない。
できれば子供は撃ちたくない。
だから、スコープ越しに祈るのだ。
お願いだから、銃を置いてくれと。
スコープごしの一連の切り返しは、ホントにハラハラする。
そして、ラストの猛烈な砂嵐が吹く銃撃戦。
ずっと追いかけていた敵のスナイパーを撃ち殺す代わりに、
敵に囲まれてしまう。
砂嵐によって、視界が殆ど見えない建物からの脱出。
僕は、ペキンパーの『ワイルドバンチ』が見たくなった。
そしてベン・アフレックの『アルゴ』。
なぜ銃を手に取り、人は人を殺すのか。
舞台を西部劇ではなく、現代に置き換えると、
否が応でも、そこには社会性が帯びてしまう。
それが9・11以降のイラクが舞台ならば尚更だ。
「でもそんなのあんまり関係ない。だって映画なのだから。」
と言えたら多分、楽なのだろう。
けれども、それはちょっと難しいのかもしれない。
4度目のイラク遠征後、
自宅にいようが、クリス・カイルの耳には現地の「音」が聴こえてくる。
医者から面会を勧められ、
腕や脚がなくなった退役兵士たちと過ごす時間。
おそらく実際の兵士を起用したキャスティング。
そのリアリティは、それに続くクリス・カイルの「幸せな日常」に、
奇妙なコントラストを浮かび上がらせる。
PTSD?を患っていた彼がいつの間にか、
立ち直り、良き夫、良き父親として過ごしている。
イーストウッドは立ち直るまでのクリスを省略する。
とにかく彼は立ち直ったようだ。
かつて、自分が父親にハンティングを教わった時のように、
自分の息子にハンティングを教えている。
妻とも楽しそうにジョークを交わす。
娘と一緒に白い馬と戯れる。
そんな幸せな光景を僕らは目にし、安堵する。
「英雄」は、傷ついた兵士と時間を過ごすことで、
自らの心も癒やすことができたんだなと。
そして。
同じように心を患った退役兵士との約束に出かけた夫を、
不穏な表情で見送る妻のクローズアップで、「映画」の幕は閉じる。
衝撃的な事実とともに。
(僕はその事実を知らずに映画を見た)
そこからは、ブラッドリー・クーパーではなく、
実在のクリス・カイルの写真や映像を用いたエンディング。
そして最後のエンドロール。
音楽は響かず、静かな黙祷が捧げられる。
2015年、85歳になるクリント・イーストウッド。
あの痛快な3Dのゴダールも85歳になる。
ウッディ・アレンは80歳になる。
おじいちゃんたち、すごいぜ。
負けてらんないね。
アメリカン・スナイパー 公式HP
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